リレーエッセイ 第6回 近藤 雅夫さん(昭和43卒)

昭和43年卒業の近藤雅夫です。立派な業績を上げてこられた種村さんの後の投稿でいささか気後れしていますが御指名があったので筆を執ります。

1.自己紹介

・名古屋生まれの名古屋育ちで、ニューヨークに住んだ(1969~72)以外名古屋を離れたことがないという生粋(?)の名古屋人です。

・仕事やゴルフでは日本全国・海外を飛び回っていますが、昭和19年に生まれてから住むところは変わっていないのは今どき珍しいかも。

・平成11年に亡くなった父親は旧制名高商の卒業生で、私の長女(平成6年卒業)も経済学部の卒業生と三代キタ二アンです。

・仕事は㈱松風屋(創業118年になります)の代表取締役会長です。創業時は「松風」という和菓子の製造でしたが、現在はいくつかの自社ブランドで主にチョコやクッキー等の洋菓子類を全国の百貨店などで販売しています。

・自社で工場は持たず400社ほどある協力工場に生産委託をするファブレス企業で、長男が5代目社長を務めていますが私は開発本部長として新商品企画に多忙(?)な日々を送っています。

・お酒が飲めず根っからの甘党の私にとってお菓子の商売は天職だと思っていますが、気まぐれな(?)消費者相手に色々な新しい商品を提案するのは、当たりもありはずれもありで面白いものです。

2・学生時代の思い出

・昭和37年に名古屋大学工学部機械工学科に入学、卒業後昭和41年に経済学部に学士入学しました。

・当時名古屋大学はタコ足大学と揶揄されるように各学部がバラバラに点在していたのを現在の東山キャンパスに統合する最終過程で、理系は滝子の旧制八高跡(現名古屋市立大学)で教養課程を過ごしました。

・滝子で学んだ最後の学生となりましたが、滝子界隈は古くからの学生の街で大変情緒があって街には旧制高校時代のにおいが残っていました。

・3年生になり東山キャンパスへ移ったのですが、学校周辺には飲食店など何もなく荒涼とした大地が広がり西部劇の世界へ来たようでした。

・滝子では女子学生が理学部と医学部に併せて数名程度だったのが、東山キャンパスへ来ると文系の学部には大勢の女子学生がいたのも新鮮でした。

・そこで目が眩んで(?)付き合い始めたのが一年下で文学部に通う今の家内で、来年には結婚50年の金婚式を迎えます。

・学生時代はライフル射撃部に入部し(ゴルフ部にも籍を置きましたが幽霊部員でした)、名大の所属する関西学生連盟で個人総合優勝したり、愛知県代表で六年連続国体に出場したりと結構腕の良いライフルマンでした。

・1年生の時に第一回七帝戦(現国立七大学戦)が北大であり、夜行列車を乗り継いで札幌まで行きました。

試合の事はあまり記憶がありませんが、北大植物園に飼われていた南極犬のタローとジローに会えた事、試合後京大と阪大のメンバーと一緒に周遊券片手にお金の続く限り北海道を周った事は本当に楽しい思い出です。

・社会人になってから幸いなことに射撃の腕が役立つ事はありませんでしたが、射撃経験のお蔭かゴルフでもターゲットに向かう方向性が良くホールインワンをこれまで5回経験しています。

3・キタン会。

・30代のころからキタン会に引っ張り込まれ先輩たちから色々と薫陶を受けました。名古屋駅の旧ターミナルビルの事務所とかそのあとの栄町ビルのキタン会事務所は談話室があって差し入れのお酒が置いてあり、行けば誰かがいる(当時は先輩方もゆとりがあったようです)というサロンの雰囲気で先輩・後輩の距離が近かったように思います。

・我々の学年はこれまでも5年毎の節目に同期会を開催してきましたが、今年卒業50年になるので10月に記念同期会を名古屋で開催しました。

・入学時140人の同期ですが判明しているだけで23名が鬼籍に入り連絡のつく110名に呼びかけ49名が参加、翌日26名でゴルフを楽しみました。

・我々の学年は面倒見の良い幹事団が名古屋と東京にいて、夫々日頃からゴルフや飲み会で同期が集まり、年に一度東京・名古屋合同のゴルフ会を開催しています。

・同窓会は「同期の横糸」と「先輩・後輩の縦糸」の綾なす織物のような組織だと思いますが、「同期の横糸」をしっかり紡ぐことが要だと思います。

同期は減ることはあっても増えることはありませんので、これからも同期の絆を深めて行きたいと思っています。

(昭和43卒)